創始者の本とワークはATJ

ATJ・アレクサンダーテクニークジャパンには
FMアレクサンダー氏の本当のワークがあります。

   

FMアレクサンダー(1869~1955)略歴


FM Alexander in 1894 
とんでもない大失敗を逆手にとって、不屈の精神で原因を追及し、実験を重ねた結果、アインシュタインやダーウィン以上の発見をした男の話です。たった一人の男が自己観察を続けて発見した事実から意識調整(CC)ワークは発展しました。

祖父は英国で労働争議を起こし、流刑者になりました。開拓農民の家庭でした。母親は助産婦でした。近所の人が夜中でも呼びに来ました。彼女はパジャマのまま裸馬に跨り、さっそうと柵を飛び越えてお産に向かいました。

江戸が東京と呼ばれるようになった頃、フレデリック=マサイアス=アレクサンダー(FM)は豪州タスマニアで生まれました。子供時代に素晴らしい大自然の中で植物や動物からもたくさん「生命」を学びました。馬が大好きでした。聡明すぎて小学校の勉強がばかばかしくなり、「不登校」になりました。幸いなことに、ある教師は彼の才能を見抜き、個人教授を施しました。そこでFMはシェークスピアに出会いました。 10代で家を出て、事務職などをしながら朗誦家の訓練をしました。どうしても役者になりたいと、独立心の強い彼は都会のメルボルンに赴き、有望なスタートをしました。ハンサムな野心家はメキメキ名を上げました。

ところが・・・・・、
しばらくすると舞台上で声がかすれたり出にくくなったりするようになりました。客席でも、セリフの息継ぎのときにあえぎ声が聞こえました。

なんとかしようと次々とボイストレーナーなど専門家にかかりました。数人の医師から「安静が必要」と言われ、錠剤と喉スプレーを出されました。なるべく声を出さず、安静にしていれば少しは回復するようです。そんなときに今迄で一番大きな舞台に抜擢されました。医者の指示を守って、慎重に過ごし、いよいよ自分の一世一代の舞台へと立ちました。

結果は・・・、
始めは声が出ました。すぐにかすれました。お芝居の終演までまだ半分も行かないところで、全く失声しました。客から散々にののしられ、役者としてバラ色の未来も、絶望のどん底に変わりました。 本人曰く「私の落胆ときたら、言葉で表現できる領域をはるかに超えていた」と。医師や専門家の助言はどれもこれも役に立ちませんでした。

そこで、「医者に治療方法がないなら、自分で原因の解明に乗り出すしかない」と、自己調査を始めました。

普段は話せるのにステージで声が出なくなるのは、きっとステージで自分が自分に何か「特別なこと」をしているからだ、と推論して実験を始めました。鏡を前にして、台詞をしゃべる自分を自己観察しました。初めは何もわかりませんでした。

それでも1日何時間も、何ヶ月も続けると、ようやく見えてきたことがありました。朗誦しようと思った瞬間に、引き下げた頭を後ろにやり、押しつぶした喉頭をやり、あえぐ音が聞こえるほど口呼吸で息を飲み込むように、自分でやっていました。

もうしばらく観察すると、実は日常会話でも、度合いが小さいだけで、同じ動作を繰り返している、と見えてきました。一回ではたかが知れている小さな圧力でも、何回も何千回も積もり積もれば山となる、莫大な圧力のせいで失声した、とわかりました。

頭を引き下げているならば・・・、「その反対をすれば治るじゃないか」と大喜びしたのもつかのま、続々と難関がやってきました。頭を前にやってもダメ、首の後ろを伸ばそうとしたら首のほかのところが固くなりダメ、のどがしんどくなったり別の場所がきつくなったり、声が出ません。

頭が上に行くやり方があるとしても、頭・首・のどだけでなく、胸や胴体全体、脚から足、それからどんな役柄を演じているか、声色を変える、何を考えているかなど、全部が相互作用していました。やめようとしても他のことをすれば全体ではダメになる。それに一箇所だけ、つまり発声器官だけ変えようとしてもムリで、もとの木阿弥になるとわかりました。

長い期間実験を続けてから、やっと思い当たりました。

「不要なことを止めて、必要なことをやる、そうすればいいのだ。だけどどうやって・・・?」、

やっているつもりすらないことをどうやって止めるのか。

『自己の使い方』第一章より、段落64~66に本人の記述があります。

64.これでもかというくらい多数の企てをやってこの問題を解決しようとし、様々な体験を得た。そうした経験で証明されたのはたいそう価値があり興味深いことにも見えたが、散々やってみた挙句の果てに、やっと私は次に述べる計画を取り入れることにした。
(註 以下の計画は単純な理論に過ぎないが、困難であると判明し、ほとんどの生徒が実践に手こずる。)

65.私が決意しワークしようとしていた欲しい「結果」とは、ある文章を話すことだが、もしかしたら、自分が話し始めようとする際にもそれ以前と同じやり方を続け、変わることなしに進めたとしたらどうなるだろうと、組み立て直した。
(ⅰ)抑制する。
刺激に対して、どんな即時の反応もしない。今回の刺激はある文章を話すことだ。
(ⅱ)投影する。
順々に生じる方向へ行き、プライマリーコントロール(第一調整)に向かう。第一調整により自ら理性的に導かれた至高の存在となり、そこへ目標がもたらされ、新しく改良された使い方で自分の発話に到着し、それから、
(ⅲ)継続して投影する。
いろいろな方向へ行けるから、自分を信頼し自分を有効にするところでやりつづけ、望ましい方向へ行きながら働いて目標へ向い結果に至り、文章を話す。

66.ここに特別な瞬間があり、そこが常に重大であると判明したのは、自分にとってその時こそが旧状に復しそうになるから、つまり自分が元に戻って誤った旧い習慣的使い方をすぐやりそうになるからだ。決定的瞬間にこそ、自分に変化が必要であり、古い手順を変更するには、
(ⅳ)決定的瞬間に、同時進行で、ずっと継続して投影する指揮により新しい使い方へ向かいながら、自分をふと止め、意識的に再熟考し、自分の初めの決意を思いなおし、
「自分でやはり続けますか、結果を得ると自分で決意したように、文章を話しますか。それとも、それはやりませんか。あるいは他の結果を得られるよう続け、いろいろやりますか」と自分に尋ねてみる。すると、その時に新鮮な決意をし直すことになる。
(ⅴ)もしくは、当初の結果を得ようとはしない。この場合それは、自分で継続し指揮を維持し新しい使い方をやりながら、続けて文章を話すことはやらない。
あるいは、結果を変え、何か違うことにする。
例えば、文章を話す代わりに手を持ち上げるならば、この場合それは、自分で指揮を維持し新しい使い方を継続しながら、運びとして最終の決意では、手を持ち上げる。
あるいは、続けて、最終的に初めの結果を得ることにしてみる。
この場合それは自分で行く方向を維持し新しい使い方を継続しながら、文章を話すことにする。

以上が、テクニークの核心部です。

1890年代にシドニーやメルボルンで始めた頃には、まず演技や朗誦が飛躍的に改善された秘密を教えてほしいと、舞台仲間が彼の元に集まりました。徐々に歌手・音楽家などに広がり、そのうち医者から見捨てられた人や心の悩みを持つ人も含め、およそ人類全てにFMの発見やそこから導かれた原理の応用が有効かつ、様々な良い効果をもたらすとわかりました。

1904年、氏はロンドンに移住します。1930年、子どもたちがアレクサンダー教育を学べる学校、翌年に教師養成コースを設立します。四冊の著作を遺します。

現在では世界中で1万人を超える教師がいます。

 

☆「CC・AT・その他」

・CCとはconscious control, 意識調整です。FM氏は著作四冊(合算で1000ページほど)で解説しています。

・ATとはAlexander Technique, アレクサンダーテクニークです。現在世界中で教えられています。FM氏の著作『自己の使い方』第一章・進化するテクニーク(約40ページ)が基本です。もう一つクリックした別ページに解説があります。

重要事項をまとめます。意識調整・CCとして、創始者によるワークの全体像が著されています。CCの一部がAT、つまり1000ページのうち40ページです。もちろんATだけでも強力ですが、CCは記述としても25倍ほど遠大です。要するに、創始者は自らのワークを「意識調整」とし、住環境や食事、学校や社会教育まで含めた全人的ワークを進めていました。実践するうえで「当該テクニーク」あるいは「私の発見から導かれた原理を応用したテクニーク」があるとしました。それが今日「アレクサンダーテクニーク」と呼ばれる手法の元になったようですがしかし、本人の著作に「アレクサンダーテクニーク」という言葉はひとつも出てきません。それは弟子らによる命名です。

それから「その他」について、ここであえて指摘しておくと「ボディー何とか」「からだの・・・かんとかメソッド」という呼称を恥ずかしげもなく公表している連中は、虎の威を借る狐です。創始者とはおよそ無関係です。

なぜなら創始者は心身統合体としての人間有機体ワークを実践しているからです。「心と体」のように分離することは不可能であるという事実に立脚しています。心身統合体において「ほかに適切な言葉が無いので仕方なく、『身体』的とする場合には100%が精神の働きでなく、『精神』的とする場合には100%が身体の働きではない、と表すに過ぎない」と著作にあります。

FMが鬼籍に入った1950年代に、跡目争いなどもあり著作集は絶版になりました。英語原典の再販はずいぶん経ってからで、『自己の使い方』は1980年代、遺作『いつでも穏やかに暮らすには』は2000年でした。数十年間に各教師による独自の理解もしくは誤解が行き過ぎ、現在は混乱状態です。アレクサンダーテクニーク(AT)には様々な流派があり、時にはお互いに相手を教師として認めないほど理解のバラつきがあります。自分の流派を大事にするのは結構ですが、しかしそこで、FM著作集があまり取り沙汰されないのはなぜでしょう。

英語原典が出版されていなければ、日本語版などさらに困難でした。今は違います。もしかして今からでも創始者著作集を参考にするならば、種々の相違は解消される方向へ進む、とATJは思います。

 

ワークに関する段階

(ゼロ段階:ワークを全く知らない)
第一段階:本を見た、どこかで聞いたことがある、知り合いから聞いたなど
第二段階:どこかの教師とワークを実体験した
第三段階:定期的にワークを続けている

ここから先は本来、別の梯子になります。

第四段階:教師養成コースで学ぶ(練習生・トレーニー)
第五段階:教師として切磋琢磨する

全世界でほぼ忘れ去られた別の梯子があります。

FM段階:著作を手掛かりにFMアレクサンダー氏の提唱する意識調整を身に着ける
超FM段階:創始者の意識調整を土台として、更なるワークを構築する

ATJはどの段階でも、どこまでも教授します。

残念ながら、1950年代にFM氏が亡くなってから、ワークは全世界で矮小化されました。近年、本場とされるロンドンやニューヨークでも、創始者によるワークの一部しかありません。言い換えると、上記の第五段階でさえ、そこに留まっていればジョンデューイの言で「博識なる無知」です。50年以上続けているという教師陣にもお会いしましたが、単なるボディーワークであるかのような扱いがほとんどであり、FM段階にすら達していません。がっかりします。全世界でもごく一部の学校にしか、創始者のワークは生き残っていません。

ATJでは創始者FMアレクサンダー氏全著作4冊の日本語版を出版し利用しています。創始者の意識調整によると、心身統合体としての人類有機体はもちろんのこと、環境や食品などへの考慮もあります。ATJでは、FMの時代には無かった現代的な諸問題、つまり微量放射能や電磁波障害、有害化学物質などへも対処します。


解説「FMアレクサンダーのワークと著作について」