●「自然に演奏してください」ビビアン=マッキー著    

横江大樹・DJ訳 日本版 風媒社刊 ISBN978-4-8331-5237-2
原著 Just Play Naturally ISBN: 0-9717004-0-0 Vivien Mackie and Joe Armstrong
このお話は、ビビアンがパブロ=カザルスから1950年代にチェロを通して受け継いだ演奏のエッセンスと後に学んだアレクサンダーテク二―クの原理、その双方が共鳴していくという内容です。ジョー=アームストロング氏との対話形式で進みます。
 
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  目次

序文
序曲
1.   背景
 2.   カサルス氏と初めてのレッスン
3.   クリスマスの後で(1952年12月)
4.   かかるだけの時間をかける
5.   1953年の夏
6.   二年目
7.   二年目のほかの学生たち
8.   もうひとつ梯子が
9.   解釈
10.   アレクサンダーレッスンを始めるつながりが見えてきた、1968年
11.   アレクサンダーの発見
12.   アレクサンダー氏とカサルス氏
13.   もっとつながって
14.   ここで今
15.   指使い
16.   つなぐ冒険、アレクサンダー-とチェロと
17.   もっとつないで
18.   リズムへ入っていこう
19.   アレクサンダー教師への訓練が続く、1970年
20.   地獄からの生還、3日間の伝説
21.   地獄を解剖する―アガリ症の分析
22.   自然に帰る
23.   より深くカサルス氏の教えに
24.   カサルス氏・人生・芸術
25.   カサルス氏と表現
26.   血と汗と涙のひとしずく
27.   指示する、しかし空想と共に
28.   空想する、しかし指示と共に
29.   混乱から抜け出すには
30.   混乱から抜け出すのを図示すると
31.   バッハ
32.   バッハ、しなやかさと前向きさ
付録   アレクサンダーテク二―クと職業音楽家たち
著者紹介
翻訳者あとがき
 


  本文から抜粋
2・カサルス氏と初めてのレッスン
・・・
JA:そのときにあのぬかるみが関係して来るとは、特に思いませんでしたか。
VM:カサルス氏が私を見抜き、ぬかるみにいることがばれるなんてありえない、誰にもそんなことはない、と思っていました。
JA:それではあなたはいわゆる基礎的な事柄を必要としていたのですか。
VM:そこのところこんな風でした。「私のバッハには絶対に触らせないから。」と内側で思っていたところを想像できますか。
JA:本当ですか。そんな状態でプラードにお着きになったと。
VM:はい。私は到着してとるものもとりあえず、ご挨拶に伺いました。そうしたらカサルス氏はたいそう親切で丁寧で数日間の休養を下さいました。私は大きな部屋の下宿を見つけました。石造りの床だったうえに入り口の扉を開けたらすぐに表通りになっており、外は信じられない騒音でした。小さな流しとガスバーナーのある台所部分がガラス窓の向こう側にありました。慣れなきゃいけないことばかりでした。それまで自分で自炊をしたこともなく、初めてやらなければならなくなった時は外国にたった一人でした。
JA:最初のレッスンへ向けてたいそう練習されたのでしょうね。
VM:ええ、もちろん。気が狂ったようにやりました。ある朝、エレガントなカサルス氏の姪御さんがお見えになって、今日の午後5:30からレッスンです、と知らせてくださいました。それで伺って、彼の目の前で1ページほどシューマンの協奏曲を演奏しました。ものすごくあがってしまい、「あの、暗譜ではできないかもしれません」と言いました。私はこのシューマンを演奏したおかげで、大学の賞をもらったばかりだったにもかかわらず、そんなふうでした。「楽譜を使わないのですよ、プラードではね」と彼は言いました。演奏を始めましたが、自分でもちっともいい出来ばえではありませんでした。そうしたら彼は私を止めて、「自然に演奏してください。(Just Play Naturally)」と言いました。私は「やっています」と答えました。しかし彼はかぶりを振り、他の言葉を捜そうとしてもできずに、それでまた、「つまり、自然に、ということです」と言いました。私の内心で、「ああカミサマ、21歳のみそらで私は自然に演奏する能力を失ってしまったとカサルス氏はおっしゃる」という考えが浮かびそうになりましたが、これはあまりにも惨めで、良いふうに思い直すことができそうにもなかったので、すぐに懐深くに隠してしまいました。とにかく私は演奏を終えました。カサルス氏はていねいなお礼を述べられ、それから、「あなたは自分が何をしているかを知りません。」と言われました。
JA:そんなまさか。
VM:そんなふうでした。とても優しいと同時に、嘆かわしく頭を振り、そして「あなたに才能があるのかどうか、私には告げることができないし、わかりません」と言われました。今まで誰も私にこんなセリフを言った人はいませんでしたから、確実にショックがやってきました。それからまた彼は、「レッスンをするならば、我々はすべての始まりに戻らねばなりません。聞いたところ、あなたが来られた理由はシューマンの協奏曲を完成させるためでしたか・・・」と。私は、「いいえ、いいえ」、「私はわかりたいのです、チェロ演奏を知りたいのです」と言いました。チェロは大好きなのに、深い洞窟に入り込んでしまったような感じになっており、どうしてもそこから抜け出たかったからです。だから、「あなたは自分が何をしているかを知りません」と言われたとき、生涯で一度も聞いたことがないくらい受け入れてもらった言葉だと。こんなふうに救われるなんてありえない、と感じました。私は得心しました。一点の曇りもなくここで一緒にワークをやらせてもらおうと思いました。
JA:非常に貴重な瞬間だったのですね。
VM:チェロ演奏は「冗談ではできません」と戒めをおっしゃいました。約束できたとしてもほんの始まりの部分にすぎず、基礎の基礎をやるだけで1年が終わるだろうということでした。それでも確かに教えると、そんな私を引き受けてくださいました。そして、次の週までにハイドンの協奏曲ニ長調をやってこられるかと聞かれました。私は反対しようとしました。ちょうど数ヶ月前に大学のオーケストラでやったばかりの曲だったからです。話し合いましたが、もっと適切な曲がありませんでした。「ダメだ、ハイドンの協奏曲だ」彼は言いました。(ご存知のように、その頃はまだ協奏曲ハ長調は発見されていませんでした。)それから、レッスンを3週間に一回のペースで進めなければならないと、私は説明しなければなりませんでした。奨学金は10回のレッスン代金ポッキリだったので、私が翌年の夏に開催される音楽祭まで留まろうとするならば、引き伸ばしていくよりほかに方法がなかったのです。それなのに奨学会の規定で、奨学金を受けている間にお金を稼いでは行けないのでした。両者ともあまり納得の行く条件ではありませんでしたが、そのときの状況を考えるとそれでもベストといわざるを得ませんでした。ごく初期段階の出来事で書面での記録もありませんが、昨日のことのように記憶しています。
JA:疑いようがありません。
VM:さて次の週、初めての正式レッスンでハイドンに取り掛かりました。スケールから始めました。非常にゆっくり演奏していくのです。やりながら、なぜ左手の指を常に同じ角度になるように弦に置くのかと質問されました。(それまで私は、常にそうしろと教わってきました。)そして次に、すすんで前腕を回転し少し角度を変える技法を見せてくださいました。そうすると指を押さえる方向がブリッジの方に向いて、ずっと自由に手を伸ばすことができました。革命的でした。扉が開かれ、全く新しい概念で物事を進められるようになりました。「行ったり来たりできるように」、「そうすれば柔らかくなる」と言われました。次に指摘されたのは小指です。小指付け根を癖でだらりとさせてしまうやり方について、「これは良くない」と言われました。しかし、私は、「このようにしろといわれたのです」と。「しかしというが、これは良くない」もういちど言われました。それで私は、この指は常にこうするように教えられたと苦心して説明しました。そうしたらまた、「これは良くない」と言われました。その後にやって見せてくださったおかげで、どう練習すればいいかわかりました。まず他の3本の指を弦に置くことからやらなければいけません。それから新しく柔らかに小指を使って、これを持ち上げ空中に置き、それから突然行かせるのです。すると、弦を打つ「ピン」という大きなタッピング音が聞こえます。たとえると、カエルの舌のような感じです。舌が鞭打つようにさっと伸びてハエを捕らえるあの感じ。それでどうなったと思いますか、次のレッスンまでに弱さがすっかり消えてなくなりました。
JA:信じられない。それから曲に行ったのですか。
VM:はい。それから協奏曲のワークを始めました。最初の音で止められて、シャープ(音が上ずっている)だと言われました。私は調整しましたが、それでもまだシャープしていると。彼はずっと言い続けて「シャープだ」あるいは「フラット(音があがりきっていない)だ」と。彼に「そいつだ、けれどもピアノ(音楽用語の弱く)で」と言わせる音になるまで続きました。それでよりソフトに弾きました。「しかし、協奏曲だからピアノです」またシャープしている、と。最後になってやっとうまくできましたが「しかし、ディミニュエンド(段々弱く)です」と言われました。その繰り返し、繰り返し。そうしてやっと、次の音を加える段が来ました。もうひとつのFis(嬰への音)ですが、同じボー(弓使い)で演奏します。この2つの音が揃って形作られるまでに、またもやかなりの時間がかかりました。いつも何かしらほんの少しシャープしているか、もしくは、フラットしているという具合でした。続けねばなりませんでした。同じような注意のもと、毎回同じ輪郭で毎回二つのFisの音が要求に沿わなければなりません。「そいつだ」と言われるたびに私は驚きました。私には違いがわからなかったのですから。自分が出している音は全部十分良いだ、というのは思い込みに過ぎず、実際にはそうではありませんでした。つまり私は「盲目の耳」だった、そうとでも言うしかありません。私の盲目の耳を、私が手探りしていた耳を、彼は先導して行くべきところへ行けるようにしました。その回のレッスンでは、協奏曲の内たったの二小節しか進みませんでした。ところがそこだけでも、そのように演奏すると息を呑むような美しさでした。
JA:想像できます。
VM:その後、訓練法として2~3つ新しい指使いでやるスケール練習を見せてくださいました。いつでも練習曲はほとんどありませんでした。なぜかというと、彼の基準はたいそう厳しいものでしたから、「素材」なんてものはたくさんいらなかった、こういうやり方でワークを続けるならば少量の素材をずっと使うことになるから、とお分かりになるでしょうか。
JA:もちろんそうでしょう。

・・・中略・・・


9・解釈
JA:この章では、「カサルスに学ぶ」解釈、あるいは単に解釈について取り上げます。皆さんもお知りになりたいでしょう。ところで本当に、あなたと彼と一緒に解釈をしなかったのですか。
VM:さあ「解釈」といわれても、文脈がはっきりしませんから。ただ我々は「解釈」するべきではありませんけれども。
JA:そうですか。
VM:「解釈」とは、含まれる意味を変えることのようです。
JA:はい。
VM:それは修正です。
JA:では、あなたはそこにあると知的に判断したご自身のアイデアを元にして演奏するだけであって、自分の好き勝手なやり方で弾かないのですか。
VM:楽曲が働きかけてくること、我々はそれを許すのです。
JA:ということは、核心部や「その時最適な手段」や音楽の「大地」とともにワークを進めているならば、うまく我々に働き音楽は自ら現れてくると、やればやるほどそうなってくると、おっしゃるのですか。
VM:そう思います。しかし現実的には、言うほど簡単ではありません。
JA:自分の個性やエゴを音楽にかぶせることはしないのですか。
VM:それはありえません。
JA:それが普通「解釈」という言葉の持つ意味ですから、ほとんど魅力がないわけですか。
VM:はい。
JA:「わたくし」の「素晴らしい知識を駆使して長年培った研究によって」、「解釈」が可能になりました、と。他の作曲家でもバッハやシューマンでも、「わたくし」の聴衆に聞かせるのです、というやり方はしませんか。
VM:ダメ、ダメ、絶対ダメです。
JA:もうひとつ深い所にあなた独特の態度がおありですね。現代の演奏者の中ではおそらく、カサルスのような流儀で音楽への態度を保つ人はほとんど存在しない。一般的に、「私の解釈」か「あなたの解釈」が関心事だからです。あるいはもう一方に、「神に捧げている」とか「神が私の手を通して演奏しているのだ」と言う演奏者もいます。
VM:そうですね、「バッハを弾く時、私はイエスのように感じる」とあるチェリストは言っているようです。
JA:はい、はい。
VM:それで二つ思い出したことがあります。私が例の特殊な体験をした1年目の夏、有名な演奏家が音楽祭の為にずらり勢ぞろいしました。カサルス氏はコロンビアレコードでシューマンの協奏曲を録音することになりました。録音の妨げになるからと、我々は建物から追い出されてしまいました。録音現場の寺院は廃墟に近いほどの代物で、砂利がむき出しになった床で雑音を出してしまうからでした。
(註・訳注。録音現場は、プラード商店街から少しカニグー山側に上った山のふもとにあるサンミッシェルドキュサ修道院という10世紀頃に建てられたロマネスク形式の修道院で、古から現在までサンチアゴデラコンポステーラへ向かう巡礼の起点地だ。遺跡の回廊はニューヨークにあるクロイスター博物館に移され展示されている。修道院も徐々に修繕され、プラード音楽祭では1950年以来ずっと現代も、コンサート会場として利用されている。)
私はそれまで何度もカニグー山ぶらり散歩をしていたおかげで、その建物周辺を熟知していましたから、急いで丘へまわれば裏口から侵入できて、そこに腰掛けることの出来る窓枠があることを知っていました。山のふもとにあるその修道院は斜面を部分的に削ったところに建っています。だから、この窓枠部分に山側から入ればひと繋ぎになっていました。ここから見ると表玄関の「演台」に使われている部分が、ずっと下の方に見下ろせました。窓本体のない窓枠に座っていると、ずっと下のほうにユージン=オルマンディ氏指揮のオーケストラとカサルス氏の演奏が見えました。シューマンの録音です。実は景色なら外を見ていたほうがずっと美しいので、しばらく私もそうしていました。しかしだんだん、あまりにも注目すべき演奏、とんでもなく目を見張るようなものになってきて引き込まれ、演奏から目が離せない状態になりました。下の方を見下ろしているしばらくの間、カサルス氏が見えなくなってしまいました。オーケストラは見えました。指揮者も見えました。チェロも見えました。にもかかわらず演奏者が見えない。それで「そうか当然、彼はそこにいない。それが彼の仕事で、自分がいなくなることによってシューマンが現れるのだから」と私は思いました。ほんの一瞬のことだったかもしれませんが、驚きの瞬間でした。カサルス氏と一緒にワークをしてきて、私はいつでも準備のある状態にあり洞察もできるようになっていたようです。初期の頃にどうやってハイドンを料理していったかを覚えていらっしゃるでしょうか。ここを少しやって、次にあそこをと、その部分が全部うまく行っていればもう終わりで、また次の部分に進んでいくという風に、着実に進み、来年になれば果実が収穫できるようなやり方でした。
JA:そうでした。
・・・・