●自己の使い方(第三作、日本語版は私家版で完成しています。)

当該テクニークの創始者であるFMアレクサンダー氏、英語原著では本人による著作4冊と講演集1冊と、計5冊が出版されており、ATJでは全冊の日本語訳出版に取り組んでいます。この「自己の使い方(The Use of the Self、 1931年初版)」は3冊目にあたり、個人が具体的にワークを進めるやり方、すなわち、「テクニークをどのように運用するか」を丹念に記述しています。本当にワークを身につけたい方は原点から学べます。初めての方の自習教材としても最良の手引き、何よりも教師や練習生にとって必読の書といわれています。このページに一部紹介します。
 
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  自己の使い方

自己の意識的な方向でかかわりながら診断し、機能し、反作用を調整するには

興味を持って私のワークに参加してくださった方々に捧げます。皆さんのおかげで私は実体験を得て、この本に書いてあるように仕上げることが出来ました。

著者 フレデリック=マサイアス=アレクサンダー
初版は1931年大英帝国にて刊行
この訳出に当たっては
Centerline Press, 2005 Palo Verde Avenue, Long Beach, California, 90815
ISBN-0-913111-01-5
1984年版を使用 翻訳者 横江大樹・DJ

日本版
目次
感想文   城山美津子
翻訳者前書き   DJ(横江大樹)
紹介文   ジェニファー=ミゼンコによるもの2009年
紹介文   マージョリー=バーストーによるもの1983年
紹介文   ジョン=デューイによるもの 1939年
序文   1931年の初版
序文   1941年の新版
第一章   進化するテク二―ク
第一章の解説
第二章   使い方と機能の仕方を反作用に関連して調べる
第三章   ゴルフをするときに目玉をボールに置いていられない人
第四章   吃音(どもりの人)
第五章   診断と医療的な訓練
付録   リトルスクールと教師養成学校について
付録に関しての補足説明
用語集
 

 

  本文から抜粋
第5章 診断と医療的な訓練
・・・・もうずいぶん長い期間にわたり医療関係者が自分のところの患者さんを、私のもとへ送り込んできており、その理由は彼らが知っている私の豊富な経験のためであり、実験的に状況を変えた使い方をすると続いて影響を受ける状況ができ、機能が変わるからだ。ここでまず断っておきたいのは、こうした方々を私は患者としては引き受けず、しかし、必ず生徒として受け入れていることで、それというのも、私の興味をほとんど引かないのは病気や欠陥を分離して、相互に関連している有害な状況で使い機能することと別に扱うことだから、そうしている。

来られる方々がお持ちになる診断と受けてきた治療はまことに広範囲にわたり、病名を列挙すれば、狭心症・肺病・てんかん・運動失調症・リューマチ・関節炎・坐骨神経痛・小児麻痺・喘息・神経炎・いわゆる神経症や精神病・便秘・声と喉の諸問題・偏平足・吃音などまだまだあるが、次に、実験に論拠していずれのケースにおいても私が見つけたことを表すと、不満足な機能をもたらす有害な使い方が心身統合体の構造に存在したことだ。

別のケースに、医師諸君はなんら原因を特定できないしうまく解説も出来ないような患者の症状もあり、これも例を挙げると、まずいわゆる精神的諸問題とされている症候群には、健忘症・うつ・無気力症・記憶障害・注意散漫になり目の前の仕事に手が付かない状態・興奮しすぎて低い水準でしか物事が進められない状態などがあり、もう一方の症例として見なされるにあたりもう少し「肉体的」に現れるとされているようなことには、睡眠障害・消化不良・栄養失調・循環器異常・しもやけなども挙げられる。実験に論拠してこうしたケースでも私が常に発見してきたことを表すと、望ましからぬ状況で自己を使っているのに自分では気が付かないまま、ずっとやり続けている傾向のせいで生じた低下状態を全般的な水準にして、うまく機能していない生徒さんがいる。
(註。誰でも医療関係者ならば、症例記録(カルテ)の中に病状を特定できないために治療法も見つからないものが含まれている。)
  ・・・中略・・・私の今までの経験を通した全てのケースにおける調査から導かれた密接な関係を示すと、その関係が存在するのは以下の両者間、すなわち、あるやり方で使っている機構(メカニズム)とその水準で働く機能の間にあり、別の言葉では、私の見つけたものが不満足なやり方で使っている機構であれば、必ず機能的な問題が関連して生じており、その問題に含まれるのは本来の動きに対する干渉(邪魔)であり、呼吸器や循環器系・内臓系・様々な器官の不活性化、同時に過度に誤用されたことによる圧迫・収縮と硬化が有機体に及び、こうした全てのことが複合して水準を低下させ、病気への抵抗力が下がっている。
 また、症例によっては病名が既につけられていて、どこかの部位や器官が病気だとされていても、私が発見してきたことは全体に及ぶ誤った機能の仕方であり、誤った機能があると常に引き起こされる不満足なやり方での使い方になり、それが有機体全体に見受けられることだ。
 こうして示されることは、不満足なやり方で使われると干渉が一般の機能に及び、そのせいで病気になりやすい原因ができて、だから不具合や病気に至ることと、それから、誰にせよ診断を下したり治療の処方をしたりする方々(医師)はそれを見過ごしていることだ。どれだけの問題が現在こうした干渉のせいで起きてきているのか、あるいはどれだけが他の要因で起きているのか、そこを知ることなしに手もつけず、病気にかかりやすくなっている原因のせいで不具合や病気になっていることを彼らは看過している。

上記の理由から、私は以下のことを主張しよう。
 
  (1)   いかなる診断を症例に対して下そうとも、完璧にはなりえない。医療的な助言者が熟考をして影響がどこまで患者に及んでいるか診るのに、ただ目の前の問題に限定せず(例えば感染症としよう)、同時に、干渉されたままで機能すると常に引き起こされる習慣的な誤った使い方が機構にあり、そのせいで患者の抵抗力が低下してある地点まで下がり、そこに病原菌が進入して感染することになった、というところに考えが及ぶまでは、確実な診断になりえない。

 
  (2)   医療関係者の授業に含まれている訓練には、特殊な知識を用いてどうやって方向を示して使えば人間有機体を高められるかという訓練はないから、医療関係者にはやりようがなく、彼らの診断は理解して「使い方」という分別で私が明確にしたようにはしないし、誤った方向へ使うと不満足な水準でしか機能しないという関係にも気が付いておらず、この現象が常に病気に関係して見受けられることも知らない、ということはそれ故に、どんな推論を医療関係者がなさろうとも不完全な前提を論拠としているわけだから、彼らの仕事の価値は制限されており予防としても治療としてもどちらの領域でも不完全になろう。

 
  (3)   そこで、訓練をして満足のいく方向へ使えるように自分自身の機構を働かせることを欠かさずにやれば、その医療関係者は自分の技量に取り入れられるだろうし、そうなれば、この訓練中にその人は知識を得て、その知識を使って診断が下せるようになり、特定のやり方で使っている患者の状態がわかり、誤った方向へ使っていることを見極め、そうなれば問題があるところで実験をして、どんな症状が不満足な機能として見受けられようと、関係改善へ向かえるだろう。
 
  (後略)